「通販の荷物で運送業が悲鳴をあげている」というニュースをどこか他人事のように見ていた。
しかし、友人の訃報を聞き、そんな呑気なニュースの見方はできなくなってしまった。
仕事中に放置死
先日、友人が事故で亡くなった。
早朝5時ごろ、配送センターにカートで荷物を届けたのだけど、そのカートが倒れて下敷きになり、20分近く放置。通行人が発見し、残念ながら死亡が確認された。
連絡を受けた家族には残酷な仕打ちが待っていた。
最初病院から連絡をもらうものの、手術中に死亡し警察に呼び出され、監視カメラによる、カートの転倒から救急車が来るまでの20分以上の放置の映像記録。
カートの重さは、300Kgぐらいあったらしい。
なぜ、配送センターで受け取る人間はいなかったのか?
300Kgもの重さの荷物を動かすのに、一人で歩道の段差を持ち上げなければならなかったのか?
※実際には、いつもは同乗者を乗せる地点があったのですが、当日に限りその地点の立ち寄りがスキップされるルートが組まれていたとのこと。小さな手違いの積み重ねがこのような事態を招いたのだろうか?(2017年4月24日補足)
過ぎたことに”もしも”は、ないのだけど、それにしてもなぜそんな配置もできない体制になってしまうのか?
そもそも受け取り確認もしないってどういうことなんだ?
遅配どころか安全も犠牲
通販の急速な発達で、運送業が悲鳴をあげているというのはニュースでよくやっていた。
単純に、遅配や体制が変わるかもという印象しか持っていなかったが、現実は違った。
運送会社は、安全も、荷物の人間による受け渡し確認も、捨ててコスト削減をしていたように思えてきた。
たまに、過剰な高さのカートを押して荷物を落とす光景を街で見かけるようになっていたけど、まさか人が死ぬようなリスクを抱えた配送をしているとは夢にも思っていなかった。
これはコストダウンではない。コストダウンは、無駄を省き、自動化や手続きの簡素化などをしてコストを下げることだ。
決して、安全性を犠牲にし、必要な手続きを省き、従業員の給与を減らすことではないと思う。それは、不当なダンピングの為のコストカット。不正取引の範囲だと思う。
便利で安ければいいのか?
本当に現在の世の中は、便利で安くなったのだろうか?
実は、誰かの奴隷的な犠牲の上に成り立っている便利さなのではないだろうか?
チョコレートやカカオ、コーヒーなどの取引では、収穫に奴隷的な扱いをしていたことが問題視され、フェアトレードが言われるようになって久しい。
全てが解決しているわけではないだろうが、全体としてはフェアトレードに向かっているのではないかと思う。
100円コーヒーとか、フェアトレードなのか不安だけど・・・
最近のブラック企業やブラックバイトなどのニュースを見ると、現代社会の仕組みが逆行して奴隷化を推し進めているのではないかと思ってしまう。
搾取の循環からの脱出
自分も含め、いつの間にか搾取の原理に慣らされてしまっているのだと思う。
やはり、働いて成果を出していくのが基本なのだ。
働いたことに対して、対価を払うのは当然なのだ。
そうすればものの値段は上がり、売り上げも上がっていくのが当然。
そのためには、全ての取引がフェアトレードであることを証明することが第一歩なのではないだろうか?
現政権は、異次元緩和とか言って現金を市場にばらまいて株価が上がったとか言っているが、成長のないところにお金を入れたのだから価値の総額は変わらず、金額だけが上がった。つまり、現金の価値が下がったのだ。株価は上がったが価値は上がっていない。
だから、何をしようとも不安感は消えず、留保ばかりが増え、アウトソーシングという人材派遣の奴隷化だけが進むことになってしまっている。
搾取の循環から抜け出し、真っ当な仕事に真っ当な対価、真っ当な役割分担をすることが人の命を守るためにすべきことではないかと思う。
残念ながら、友人は帰ってこない。運送会社が事故を重く受け止め、少しでも労働環境が安全になることを祈るばかりである。